私は昔から頑張るという言葉が嫌いだった。その所為もあってか、これまでほとんどのことを頑張って来なかった。
この言葉が嫌いな理由は、もっと自由で自然に努力するのは良いが、野心を持って努力するのはいけ好かない感じがしたからだ。
でも、老人になって気付いたのは、何かを頑張らないと自己肯定できないということである。その頑張りは自由で自然にというものではなく、そうしないと自分自身がつまらなく思えるからだ。
のんびりと生きることは、現代人にはできないのかもしれない。もしできるとしたら、それは仙人の域のように思える。
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