前にこのブログで、沖縄の放送大学に老人がたくさんいることについて、学ぼうとする姿勢を評価しつつも、寂しさを紛らして暇つぶしにもなっていると書いた。
その意図は彼らをけなすことではなく、十分にステキなことだと思ったからだが、私のそうした見方は不十分だった。
どのように不十分かというと、彼らが放送大学に行くのは学ぶことが楽しいからで、老人だからこそ学ぶ楽しさが分かるという点である。
子供の頃や若い頃は、学ぶのはいい学校に入るため、いい就職をするためで、そこに学ぶ楽しさはあまりない。だが、老人になりそれらから解放され、本来の学ぶ楽しさが感じられるからではないかと思い直した。これに気付かなかったのは、私自身がそうした学ぶ楽しさを知らないからで、恥ずかしいことをしてしまった。
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